インタビュー

地球と人との共存を追求する環境と文化を創出するひと

神藤 拓実(じんどう たくみ)
博士(工学)
専門分野:機能性色素化学、結晶学

入社早々にアジアに出向き、現地のメンバーとともに活動するなど、当初からグローバルに活躍する神藤 拓実(じんどう たくみ)さんは、どんなチームにも馴染む人柄だ。実現まで長い道のりがあるだろう困難なプロジェクトも、仲間とともにその一歩を踏み出してくれる。今回は、そんな神藤さんにインタビューをしてみた。

(聴き手:鈴木 愛斗)

鈴木:神藤さんの子供時代について教えてもらえますか?

神藤:出身は愛知県です。幼少時代は田舎で過ごしていたのですが、家族がアウトドア好きでよく野山に遊びに行きました。野鳥の会にも参加していて、少なくとも月に1度は山に連れていかれるんです。正直、嫌なときもありました。野山を歩きながら、両親からは、この植物が何だとか鳥の名前がどうとか。そういうことに興味がないので、まったく頭に入らないわけです。ただ石を蹴飛ばしたり、枝を拾ったりしてぼーっと考えごとをするような子供でした。

鈴木:ここまでの話だと、なんだか「自然や科学が好き」って感じではないですよね。

神藤:リバネスに来て気づいたことですが、植物や動物が好きな人もたくさんいるんですよね。でも、僕はどんな生き物も、原子に戻ればどれも同じだと思ってしまうんです。目の前にある種よりも、そこに共通するミクロな世界に興味があったのです。
ただ、普段から自然の中に身をおいていたこともあって、環境には興味を持つようになっていきました。高校生になって、「地球温暖化や環境問題って一体なんだろう」という疑問をもつようになったんです。環境について学ぼうと大学に入学してみると、気象、海洋、地学、生物といろんな分野の研究者が集まっていて、学際的に環境問題を考えようとしていました。そこで僕が知ったことは、「人のつくったものが環境に負荷を与えているらしい」ということでした。プラスチックなどもそうかもしれませんが、人が何も作らずに生活をすることは難しい。人がつくっているもの自体を変えていかないと何も変わらないと思い、材料の研究をしようと化学の道に進んだのです。

鈴木:大学ではどんな研究をしていたのでしょうか?

神藤:博士後期課程では有機色素の研究をしていました。「色素」というとペンキや絵の具のように着色するためのものというイメージがありますが、僕は、機能性色素の電子特性や発光特性を利用して、太陽電池や有機ELディスプレイを作るような研究をしていました。

鈴木:博士号取得後も大学に残っていましたが、どうして企業に就職しなかったのですか?

神藤:修士のときにも就活をしてはみたのですが、僕自身、「環境のために」という気持ちがすごく強くて。企業の説明会に参加してみると、地球のためにというけれど、結局企業は売上のために仕事をしているのだと感じてしまいました。さらには、博士号を取得すると「分析ができるひと」「スキルがあるひと」となって、X線解析をたくさんやらされるのでは、という疑問もありました。ひたすら言われた仕事をやる・・・「やらされている」という感覚と受動的に仕事をすることが嫌でした。自分のアイデアを提案をしたり自分が創り出すような、能動的な仕事をする毎日を過ごしたいと思っていたのです。
一方で、国立の研究機関や大学みたいなところは、「地球のために」というイメージがしやすかったので、博士後期課程修了後も大学に残って、授業をやったり中高生の研究指導に携わったりしていました。

鈴木:神藤さんは、プロジェクトを起こすのが好きな印象がありますよね。

神藤:そうですねぇ。中高校での学校祭も常に中心でリーダーをしていました。応援合戦とか・・・。昔から、人を巻き込んでプロジェクトを行うのが好きでしたね。大学院では、研究の傍で横浜市の自治体や学生・先生方と環境改善のためのプロジェクトも進めていました。

鈴木:人と一緒に何かをするのが好きということですが、一方で「研究」は一人で集中して実験をこなしているイメージがあります。研究についてはどうでしょう?

神藤:研究はもちろん、しっかりとやっていましたよ。でも好きっていう感覚よりも、凝り性なんですよね。丁寧に集中して作業をして・・・それって、楽しいとか好きっていう感覚よりも「まだ、先がある」と思いながら続けていた気がします。一方で、環境活動のようなプロジェクトは好きで、趣味のように続けていましたが、徐々に、僕の生き方はまさにこれなのではないかと感じはじめました。ラボで集中して実験をするような、研究一本ではない、多くの人たちとコミュニケーションを取りながらプロジェクトを起こしていくような生き方。それが、リバネスではできると考えてリバネスに入社しました。

鈴木:入社後、どんな仕事に就きましたか?

神藤:入社したばかりの僕は、まずは国際開発事業部に所属することになりました。日本と海外をつなぐような仕事です。

鈴木:そういえば、海外に留学した経験がありましたよね?

神藤:はい、博士2年の時にベルギーに留学しました。当時は、とにかく留学してみたい気持ちがありました。国際学会などへ参加するたびに、僕のわからない言語で会話がされているのがすごく嫌で、とにかく英語が話せるようになりたかったんです。
留学したことで英語は話せるようになりましたし、色々な価値観を知ることができました。ただ、留学先で参加した新たな研究プロジェクトをやり切れず、いまだに悔いが残っています。いまでもリベンジしたいと思っていますね。

鈴木:国際開発事業部ではどんな仕事をしましたか?

神藤:海外のベンチャーと日本の町工場をつなぐようなプロジェクトに参加したため、入社してすぐにフィリピンへ行きました。フィリピンは整備が進んできた都市ですが、そうは言ってもまだ未成熟です。食事は肉や米がほとんどで、肥満や糖尿病の人も多く、環境や健康などに課題がありそうでした。また、優秀でポテンシャルを持った人がいるのに、それを活かせる場がない現状があると、現地に行って肌で感じました。

鈴木:海外での経験は、日本で暮らす私たちに色々な気づきを与えてくれますよね。

神藤:はい。そのほかにも、タイに行ってベンチャーと町工場の架け橋をするような経験をしました。町工場の言い分とベンチャーの言い分を、それぞれに膝を付き合わせてよく聞き合う。もちろん、国を跨げば文化の違いもあるし、性格の違いだってあります。明瞭かつ深掘りをするコミュニケーションが求められました。大変でしたが、とてもよい経験ができました。

鈴木:様々な経験を経て、やりたいことなどに変化はありましたか?

神藤:「環境のために」と、今でも思います。でも、自分の中で変わってきたのは、現実的な方法を考えるようになった点ですね。「なんとかしたい」と漠然と思うだけじゃなくて。アカデミアにいた時の自分には、その知見が足りなかった・・・至らなかったのだと思います。自分の目の前の基礎研究と、実現したい世界とが結びついてなかった。だから、研究をやっていても辛いという思いが少しあったのだと思います。
価値観としてのビジョンがあって、そのために自分は何ができるか、仲間とともに何をすべきかを考える。今では、周りにいる人、技術などを組み合わせていける場にいます。

鈴木:環境という視点から考えると、人類は今後、地球とどう付き合っていくべきなのでしょうか?

神藤:よく「地球と人類」という言い方がされます。地球全体で起きていることや環境問題などは実感が持ちにくいものですが、一方で、衣食住や乗り物を使うなど、僕たちの日常生活の裏側で、実は地球規模でつながる、ひとつのシステムがあります。人類が営んでいくためのシステムがこの地球の一部にあり、ダイナミズムの一部となっている、ということです。ただ、僕らが盲目であるがゆえに、自分の利益だけを追求してみたり、自分たちが生きていけなくなるのではと不安を感じてみたりするわけです。別に、このシステム自体をどうこうしようとは思いませんが、もっと理解していくことが重要ではないかと僕は考えています。
特にアジアの国々に行けば、ものすごい渋滞と自動車の数。不自然な経済のあり方が、地球に負荷をかけるのかもしれませんし、もしかしたら、物を売る企業側に課題があるのかもしれません。人類が発展を目指すのに、別の方法はないのか。もっと地球について学び、科学技術を理解し駆使しながら、それを追求していくような環境と文化をつくっていくことが大切だと思います。

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