次の世代にバトンを渡すため、非連続のイノベーションを生み出すひと
理系のバックグラウンドを持つ修士・博士が多いリバネスの中で、異色の経歴を持つのが、国家政策研究センター長の大坂吉伸だ。大学で経済を学んだ後にメガバンクに入行し、キャリアを築いた後、MBA取得を経て、2017年にリバネスに入社した。時には研究者と会社を設立したり、ベンチャー企業や中堅企業の取締役や顧問として経営参画しながら、世界を変える研究の社会実装に伴走している。取材で見えてきたのは、経歴や肩書きのイメージから窺い知れなかった、自身の信念を遂行するために真摯に研究者に寄り添う姿だった。
慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程、修士(経営学)。三菱UFJ銀行、国際協力銀行を経て、東京大学生産技術研究所(特任研究員)、科学技術振興機構(ACCELプログラムマネージャー)を歴任。リバネス入社後、研究者の研究成果の事業化支援、及びベンチャー企業の投資育成を担う。国家政策研究センターセンター長、株式会社グローカリンク代表取締役等を兼務。
中学2年生で悟った自身の使命
大坂さんは、「経営学の修士課程修了」「元銀行員」ということで、理系の修士・博士が多いリバネスの中では異色の経歴の持ち主ですよね。入社経緯を教えてください。
人生をかけてやりたいテーマが、「子どもや孫など次の世代に、よりよい社会をつくること」です。どうすればそのテーマを実現することができるのか、探求を繰り返すなかでリバネスにたどり着きました。
いつ頃、そのテーマを抱くようになったのでしょうか?
中学2年生の頃だと思います。
だいぶ早くから自身のテーマを見つけていたのですね。
当時は、綺麗な言葉にまとまっていなかったですし、中二病っぽかったのかもしれません(笑)。
そのような思いを抱くようになった背景には、育った環境が大きく影響しています。私は、徳島県の田舎で自営業を営む家の5人兄弟の四男として生まれました。四男という存在は、五男ほど可愛がられないもので、つい「自分が生まれた意味は何だろう」「自分にどんな価値があるのだろう」と存在意義についても早いうちから考えるようになりました。
そんな中学2年生のある夜、川沿いを歩いている時に空を見上げて、ふと「今見ている星の光は、過去のものなんだよなあ」と感じまして。過去、現在、未来という時間の流れを意識した瞬間でした。私にはたくさんの先祖がいて、祖父母、そして両親から私にバトンが受け継がれている。「自分に渡されたバトンを磨き、次の世代に渡すという形で社会に貢献することが使命なのでは」と悟りました。以来、このテーマをずっと意識してきました。
大坂さんがいう「バトン」というのはどのようなものなのでしょうか?
生命だけでなく、先達の知識などさまざまなものを指しています。その中でも私は、社会や産業の基盤になるような“事業”というバトンを後世につなぎたいと思い、進路選択の指針にしてきました。事業が受け継がれることは、“考え方”が受け継がれ、その考え方をした“人”が残っていくことになります。実家は自営業だったため身近に“事業”があり、事業を通じて社会に貢献するのを目の当たりにしていました。
大学では経済を専攻し、銀行に就職していますね。
人生の限られた時間のなかで、より大きなインパクトを生み出すためにも、大学で学ぶのは、私が根差す日本国の経済活動を捉えたいと思うようになり、経済学を選びました。大学卒業後は、四国からの出である岩崎弥太郎の影響を受け三菱UFJ銀行に入行し、様々な業界の企業融資に関わりました。銀行では大変貴重な経験をさせていただいたのですが、家業を継ぐことになり退職を決意。家業と修士課程での学び直しを両立させながら、「次の世代のために、よりよい社会をつくる」というテーマを追い求めたいという思いが沸々と湧き上がってきました。
大学では経済学でしたが、なぜ修士課程では経営を選んだのでしょうか?
インパクトを生み出すには一人では限界があると気がついたからです。チームを作り、その全員が同じビジョンを描いて動くことができれば、より大きくインパクトを追求できるのはないか、そこで経営を学ばなければと思いました。
ミッションは「非連続のイノベーションを生み出す」
修士課程修了後の進路はどのように決めたのでしょうか。
在学中から、いろんな選択肢を模索しましたが、そのヒントは身近にありました。大学院には多くの研究者がいます。そこでたどり着いたのが、「社会を変える『非連続のイノベーション』の種は研究者が起点である」ということ。多くの研究者や技術者の努力があったからこそ、自動車やエネルギーなど人類の発展につながるイノベーションが生まれた。そして、それらのイノベーションを生み出した企業は日本だけでなく世界を支えるまでに発展しています。
無数の研究者が日々努力しているにもかかわらず、実装されるものは多くありません。そこで「研究成果がすみやかに実装される仕組みを作ることができれば、世界を変える事業も多く生み出されるのでは」という仮説をもつようになりました。
研究成果を実装している事例として株式会社ユーグレナを知り、伝手をたどって永田さん(当時CFO)や代表の出雲さんに出会いました。彼らの元でどのように社会実装しているのか学ばせてもらうことになり、ユーグレナが設立したベンチャーキャピタル(現:UntroD Capital Japan株式会社)でも業務をさせてもらう中で、リバネスの代表である丸さんに出会いました。
ようやくリバネスが出てきました。リバネスに対してどのような印象を抱きましたか?
銀行で数多くの企業も見てきましたが、リバネスはこれまで見てきたどの業界・業種にも当てはまらず、「なんだこの会社は」と思いました(笑)。修士・博士しかいない、祖業が教育、一方でベンチャーキャピタルを設立・運用していて、得体の知れない変な会社だなと。わからない時は調べますよね。丸さんの過去のインタビュー記事や動画を見てみると、創業当初から「科学技術の発展と地球貢献を実現する」というビジョンを一貫して掲げ続けて体現してきていることが分かりました。芯の通った人が経営している会社なのだと思い、印象が変わっていきました。
そこからなぜ入社を決めたのでしょうか?
非連続のイノベーションを起こすには、その種を生み出し、研究成果を社会実装されるまで取り組み続ける必要性を感じたからです。既存企業に技術移転するのか、ベンチャー企業を立ち上げるべきかなど、一人では限界があります。リバネスには、研究者の近くにいて、研究者と共に悩み考え続けられる仲間がいます。成長している企業の後押しをするのも良いですが、自分が関わることで、社会を変える非連続のイノベーションを一つでも多く生み出したい。最初はそもそも事業として成立するかどうかはわかりません。社会課題解決につながる可能性のある研究成果を生み出す研究者と一緒に汗を流して、社会実装まで走り切ることができるのはリバネスだなと思い、入社を決意しました。
誰も正解を知らない世界で、正解を創る
どのように研究者の伴走をされているのでしょうか?
研究開発には膨大な資金と多大な時間がかかります。そして、どんな研究開発も必ず「予期せぬ壁」にぶつかります。なかなかコア技術が確立できなかったり、コストがかかりすぎて製品化に至らないなど、計画通りにいかない時期が訪れるのです。どうしたらこの壁を越えれるのか、正解は誰も知りません。
誰もですか?
はい。まだ世の中に存在しないものを生み出そうとしているからです。誰も挑戦したことがないからこそ、正解がありません。アイデアを100個出し、その全てを試しても壁を乗り越えられないこともある一方で、10個目ですんなりと乗り越えられることもあります。
誰も正解がわからない、壁にぶつかることもある研究に、どのように伴走しているのでしょうか?
3つのアプローチがあると考えています。1つ目は、正解にたどり着くための“体力”を補うこと。つまり資金です。外部調達や助成金活用を促すなど、長く走れるように資金確保に動きます。2つ目は、そもそも走る道を短くすること。研究開発にかける期間を短縮できないかを検討します。正解にたどり着くための道筋が見えていないからこそ、1つ1つの試行錯誤にかける時間は短縮できた方がいいからです。例えば当初計画で3ヶ月とされていたものも、細かく確認すると1ヶ月に短縮できたということはよくあります。そして3つ目は、“考え方”の転換を促すこと。素材を変えるなど、開発の前工程に戻って研究のアプローチを変えられないかを一緒に考えます。
これらの伴走を、リバネスとして、時には取締役という立場で進めています。
伴走のコミットの仕方には幅広い選択肢があるんですね。
研究成果の社会実装に向けて、立場は気にしていません。基本は黒子でいたいのですが、対外的に立場を持つほうがものごとが進みやすいときには効果的な方法を取るようにしています。私自身は研究開発ができません。ただ、事業を一緒につくったり、売上を伸ばす方法を提案したり、製品やサービスを代わりに売ったりすることはできる。私が伴走することで壁を突破できるならば、どんな役割でも引き受けたいと考えています。
大坂さんの本気度の高さが伝わってきます。
創業初期から一緒に走ってきた、次世代風力発電機を開発する株式会社チャレナジーも、次世代植物工場を開発する株式会社プランテックスも世の中の期待に少しづつ応えられるようになってきました。株式会社セルファイバも東京大学の研究員時代から支援し続けて、徐々に研究成果が認められるようになり感慨深いですが、いずれもまだ道半ばです。
研究者や技術者と共に歩む中で、ありがたいことに、リバネス入社当時に比べて研究成果の社会実装にむけた創業を応援するパートナー企業が増えています。国や自治体と共同で研究者を考えながら構築をすすめ、これまでの活動がさらに広がりを見せています。「広島県カーボンリサイクル関連技術研究開発支援業務」もそのひとつです。県庁が研究者に対して研究費を出すような取り組みは全国でも珍しく、非連続のイノベーションを生み出す人たちを後押ししていきたいです。
人の言葉を信じる、そんなピュアな会社
大坂さんにとってリバネスはどんな会社でしょうか?
「人の可能性を追求する会社」ですかね。それがしっくりきます。リバネスは、社員一人ひとりの「やりたいこと」を尊重しています。それは、未知のテーマに挑戦し続けている研究者を身近で応援してきたからこそ、自然と培われてきた文化なのでしょう。一人ひとりの言葉や眼差しを、全力で信じる。そんな純真さをもつ会社だと感じています。
入社8年目(2024年7月時点)になりますが、これからリバネスでどんなことに挑戦していきたいですか?
リバネスが24周年を迎える2026年までに、伴走してきた複数のベンチャー企業の中から上場企業が出ることを目標に掲げています。上場はあくまで「次の世代のためによいバトンを渡す」「非連続のイノベーションを生み出す」ための手段にすぎません。ですが、どれだけ研究を社会実装できたかをはかるという意味では、世の中にとっては大事な指数でもあると考えています。
そして、私が関わることで、「次世代のため」「人類に貢献したい」と行動できる人が1人でも増えたらいいなと願っています。
リバネスは通年で修士・博士の採用活動を行っています。 詳しくは採用ページをご確認ください。