アジアにリバネスを広げる先駈け
徳江 紀穂子(とくえ きほこ)
博士(理学)
専門分野:行動生態学
長らく海外生活をしてきた徳江 紀穂子(とくえ きほこ)さんは、2011年の入社当初からグローバルチームを兼務し、2013年にはLeave a Nest Malaysia Sdn. Bhd.(リバネスマレーシア)の設立に関わった。そしてその後、2016年12月にはLeave a Nest Singapore Private Ltd.(リバネスシンガポール)のPresidentに就任している。今回は、そんなアグレッシブな経歴をもつ徳江さんに、話を聞いてみた。
(聴き手:佐野 卓郎)
佐野:なぜリバネスにきたのでしょうか?
徳江:偶然の出会いです。
佐野:偶然、ですか。
徳江:はい。私は、海外での生活が長かったのですが、博士後期課程最後の6ヶ月だけ、日本に戻って集中して論文を書こうとしていました。研究室に行ったら、机の上に偶然、理系キャリアマガジン『incu・be(インキュビー)』が置いてあったんです。少しだけ読んでみたところ、そこには博士号取得者のキャリアに関する記事が書かれていました。他の記事も読んでみましたが、そこに書かれた活動のほとんどが、海外ではNGOやNPOがやるようなものばかりでした。でも、よくよく見たら企業の名前が書いてあるじゃないですか。「どんな人たちなんだろう?」とWebを調べてみたんですけどね、正直何の会社かわかりませんでした。
佐野:当時のWebサイトはちょっとわかりにくかったですよね。
徳江:ですから、Webサイトからの問い合わせも大分躊躇しましたよ。ラボの先生も「怪しいからやめた方がいいんじゃないか」って。
佐野:なんとかコンタクトして、リバネスを訪問してみたということですね。
徳江:そうなんです。色々と話を伺ってたら、偶然そこに丸さんがやって来たんです。「どんな研究やってるの?」って聞かれたので「カッコーの研究です」と答えました。話をしているうちに、「リバネスに来ちゃえばいいのに。海外の仕事もあるし、ちょうどリバネスシンガポールを立ち上げてるよ」って言われ、少しずつ興味を持つようになり・・・いつのまにか入社していた感じですかね。
佐野:少し話が脱線するのですが、徳江さんはどんな研究をしていたんでしょうか?
徳江:カッコーに托卵されてしまう宿主の研究です。わかります?
佐野:カッコーって、鳥のカッコーですよね。卵を他の鳥の巣に産んで、そのまま他の鳥に育ててもらう。卵を他の鳥に托すので「托卵」ですよね。
徳江:そうなんです。日本のカッコーなどは、宿主側の卵よりも一足先にヒナが孵り、宿主の卵を巣から落としてしまったりするんです。宿主は困りますよね。だから宿主もそれに対抗するため、巣を分からない場所につくったり、タイミングを変えて卵を産むなど工夫をします。
カッコーについてはイギリス、アメリカ、日本でよく研究されてきましたが、私はオーストラリアでこの研究をすることにしました。実は、オーストラリアのカッコーは托卵率が他の国に比べて高いんです。
佐野:托卵率が高いということは、それだけカッコーがたくさん孵るわけですよね?カッコーだらけになりそうですけど。
徳江:実は、托卵された宿主はカッコーを孵すんですが、その後ヒナを捨ててしまうんです。「私の子じゃないわ」って。今まで見たことがない事実を発見して、カッコー研究者の中ではものすごくエキサイトしたんです。でもそれ以外のひとは全然エキサイトしていない。研究者とそれ以外の人たちとの乖離を感じました。
「これはまずい」って思いました。研究者がこのまま専門性ばかりを深めてしまうと、やがて専門性に溺れて、誰にも理解されないまま研究者自身が絶滅危惧種になってしまうのでは、と思いました。
佐野:研究者と市民をもっと近づけたいということでしょうか?
徳江:それに近い感覚もありました。やはり、研究者なら人類に少なからずインパクトを与えないと。
ただ、そこで思いを巡らせたんです。私自身、このまま研究者を続けることはできる。でも、私が研究者として社会に与えるインパクトと、私が他の研究者を支援していくことで、その人たちの研究で与えられるインパクトを比べると、他の研究者を支援すべきではと考えました。
そしてもう一つ、私のこの考え方や道筋が、私のようなフィールド研究者のロールモデルのひとつになれるのでは、とも考えたんです。
佐野:リバネスに入社して最初にやった仕事はどのようなものでしたか?
徳江:シンガポールの子供たちを相手に、ザリガニロボットをつくる教室を実施しました。あとは日本の食材をシンガポールで紹介するというプロジェクトもやっていました。
佐野:シンガポールでの取り組みが多かったんですね。
徳江:国内でも、ペットボトルで風力発電機をつくって、再生エネルギーについて考えるような実験教室をやりましたね。最初の頃は次世代教育のプロジェクトを多くやっていました。もともと、教育とか人材育成とかに興味がありましたから。ただ、リバネスには教育開発事業部と人材開発事業部がありますよね。どちらに入ればよいか悩みました。結局、磯貝さんに相談して人材開発事業部に配属してもらいました。
佐野:でも結局、次世代教育も色々とやっていましたよね?
徳江:「フィールド研究者の活躍する場をつくりたい」「海外での経験を研修にしたい」といった想いから、人材開発事業部に行けば役に立てると考えたのですが、シンガポールに日本で開発した教育プログラムを持っていきたいという想いも同時にあったので、次世代教育もやらせてもらいました。
佐野:欲張りですね。
徳江:シンガポールのザリガニロボットの企画では、海外ですからね。スタッフも少ない中で、入社間もない私が、リバネスのことをあまり知らないままにリバネスを語り、専門ではないロボットについて話すわけです。もちろん、事前に勉強はしましたけどね。とにかく現場で経験を積みながら学んできました。
佐野:リバネスシンガポールのPresidentになって、単身移住して一人でオフィスにいることになりましたよね。意外と寂しがり屋だと聞きましたが、大丈夫でしたか?
徳江:他の人よりは、一人でいることに耐性があると思いますよ。研究もジャングルでやっていたくらいだし。自分を奮い立たせることができるか、どうやったら乗り越えられるのか、目的を達成できるか、ということを考えていました。
一人暮らしを始める時と同じだと思いますが、最初は楽しみでワクワクするんです。でも、3ヶ月くらいすると現実が押し寄せてくる。仲間と、近くにいたらできていたコミュニケーションが、距離があるととても難しいんです。第三者やテクノロジーなどを介してコミュニケーションをすると、見えない壁みたいなものがありますよね。くだらない話も距離があるとあまりしなくなりますし。
佐野:シンガポールで仕事をするのは大変ですか?
徳江:「大変」と言われると、ちょっと言葉が違うような気がします。他の一般的な会社であれば、私の経験とスキルでは、決して単身シンガポールに送り込むような決断はないでしょう。「何かやってくれそうな気がする。そこに掛けてみよう」と言ってチャンスをもらい、自由にやらせてもらっています。もちろん、プレッシャーもありますが、やりがいがあるんです。
佐野:シンガポールに来て一番良かった点はなんでしょうか?
徳江:シンガポールに一人で来て、仲間を見つけていくわけです。そこで集まる仲間は、リバネスのためのものですが、一方で、自分の仲間でもあり、自分の財産でもあります。
何年か経って、社外にも仲間ができてきました。日本から秋永さんが仲間に加わってくれました。こうして、リバネス設立当初のメンバーが経験してきたことを、経験できていることがとても嬉しいですし、それがあるから続けられるんだとも思っています。
佐野:今後はどのようなことを仕掛けていきたいですか?
徳江:私はリバネスが10歳になるとき入社しました。リバネスシンガポールももう8歳になります。リバネスシンガポールが10歳になるときには、もっと仲間を増やし、海外展開の基盤をつくりあげたいと思っています。私はPresidentですから、シンガポールでもっとたくさんの仲間を集め、その仲間がまたさらに仲間を集められるような環境をつくらないといけません。そして次なるPresidentも育てていかないと。
それからですね。東南アジアには、実はあまりノーベル受賞者がいないんです。お金や経済も重要ですが、「おもしろい!」から研究を始めて、熱を燃やせるような世界、そういう人が活躍できるできる世界をつくっていきたいなと思います。そして、東南アジアにノーベルをとれるような研究者を育む土壌をつくれればと考えています。