「科学技術は人に豊かさを届けるべき」という強い信念をもつひと
リバネスが活躍すれば、世界は間違いなく豊かになる。研究開発事業部の内田早紀は、自信をもってそう語る。過去には「科学技術に裏切られた気持ちになった」という経験もありながら、研究の奥深さ、サイエンスの美しさに魅了され、再び研究への情熱を取り戻した内田が、紆余曲折の後になぜリバネスを選んだのか。率直な言葉で語ってもらった
研究開発事業部・経営企画室 / 早稲田大学大学院 先進理工学研究科 応用化学専攻 修了 / 早稲田大学 副専攻「映画・映像」修了 / テックプランター「フードテックグランプリ」コミュニケーター / JRE Station カレッジ フードテックコース 講師
大好きだった科学技術を信じられなくなった
内田さんは子どもの頃からサイエンスが好きなタイプだったのでしょうか?
はい、子どもの頃から大好きで、親と一緒に科学館などにも行っていました。入社してからわかったことですが、過去にリバネスが監修した企画展示も体験しています。その意味では、無意識のうちにリバネスに育てられてサイエンスの道に進んだ人間ともいえますね。
では小学校時代も、好きな教科といえば理科だった?
そうですね。ただ、小学生の頃は病気がちで十分に学校に通うことができず、勉強はもっぱら自宅でKUMONをやる、というかたちでした。あまり外に出られないのでずっとKUMONをやっていた結果、小学生のうちに高校までの勉強が大体終わってしまった、という特殊な経験もしています。
それはすごいですね……。中学に入ってからはどんな生活だったのでしょうか?
次第に体力がついてきたこともあって中学は通学できるようになり、部活も体育会系のバレー部に入りました。もともと運動は好きだったんです。そうしたら、小学生時代の反動もあって、今度は部活にのめり込んでしまい、中学高校は365日ずっとスポーツという日々を送っていました。我ながら極端でしたね(笑)。
結果的に勉強が疎かになってしまい、高校3年の大学受験は後期試験まで全滅で……。最後に残ったのが国立大学の後期試験で、得意な化学だけで勝負できる内容でした。「絶対に受かるぞ」と意気込んでいたのですが、ちょうどそこに東日本大震災が重なった影響で、後期試験はセンター受験形式に変更になって。結局のところ、浪人することになってしまいました。
それは不運ですね。ショックも大きかったのではないでしょうか?
はい。ただ、浪人もさることながら、本当にショックだったのは東日本大震災にともなう福島の原発事故でした。子どもの頃に原子力の面白さやすごさを知ってワクワクした記憶が強かっただけに、その原子力が大きな事故を起こしたことに対して、科学技術に裏切られたような気持ちになったんです。
一体、科学技術は何のためにあるんだろう。それが好きだった自分の気持ちにどう折り合いをつければいいんだろう。そして、その道に進もうとしている自分は、これからどう生きていけばいいんだろう……。浪人という状態とも重なって、本当に落ち込んだ時期でした。
それでも、最終的には化学系の学科に進学されたんですよね。
はい、早稲田大学先進理工学部の応用化学科に進学しました。ただ、「化学だけをやっていて人を幸せにできるのだろうか」という迷いは残ったままだったこともあり、大学では新しい挑戦に取り組みました。
一つは、副専攻として「映画」を選択したことです。浪人時代にお茶の水にある予備校に通っていたこともあって、すぐ近くの神保町の古書店街に時々行くようになったのですが、その中に古い英語のパンフレットを置いている店があったんですね。それを見て、何十年も昔の映画パンフレットが今でもきちんと残っていること、そして実際にそれを買いに来る人がいることに感動したんです。それで自分も大学で、何かを表現し、人に届けて、そして後世にきちんと伝えていくというプロセスを学びたいと思いました。
もう一つの挑戦は、「自分でゼロから何かを立ち上げる」ことです。こちらの方向性では、友人と一緒にハラルフードに関するアプリを開発しました。
電子顕微鏡から見える美しさに魅了された学生時代
学部卒業後は、そのまま同じ専攻の大学院に進学していますね。進路はどのように決断したのでしょうか?
途中までは、かなり迷いがありました。映画配給会社への就職を本気で考えたこともあります。ただ、学部4年になって研究室に入ったことで「やっぱり研究は面白い!」と確信したんです。もともと科学技術は好きでしたが、本格的な研究の経験はありませんでした。研究室に入ったことで、「サイエンスを勉強する」ではなく「サイエンスを究める」ことの楽しさ、面白さを強烈に感じました。そこからはもう迷わずに研究の道を選ぶことができましたね。
具体的には、どういった点に魅力を感じたのでしょうか?
子どもっぽい感覚なのですが、もともと「きれいなもの」を見るのが好きでした。大学院での研究テーマはナノ粒子の作製で、中でもより小さくかつ分散したナノカプセルを簡易に作製できるか、またカプセル化のプロセス解明に取り組んでいたのですが、条件が整った粒子を透過型電子顕微鏡で観察すると、本当に美しいんです。
修士論文は「有機シロキサンシェルの形成によるメソ構造体シリカナノ粒子のコロイド状中空ナノ粒子への変換」というタイトルで書きました。実験を何百回と繰り返しているうちに、肉眼で「この粒子は分散している、していない」みたいなことがなんとなくわかるという、研究室あるあるなのですが特殊能力を身につけることもできました(笑)。
そこまで研究にのめり込んだ内田さんが、なぜリバネスに?
最大の理由は、やはり東日本大震災時の経験です。人に豊かさを届けるべき科学技術が、原発事故では逆方向に行ってしまった。2度とそういうことを起こさないためにも、きちんと人を豊かにできるものを世界に届けたいという想いをあれからずっと抱いています。そして、それを実践できるのはリバネスしかない、と思ったんです。
そう感じたきっかけは、2018年の超異分野学会に参加したことです。超異分野学会では、狭義の研究者だけではなく、アカデミア、ベンチャー、企業、町工場、中高生と、本当にさまざまな属性の人々が集まって、それぞれの「研究」を発信しています。また、だからこそ、その場の出会いから数多くの新たな研究テーマが生まれることになります。
その空気に実際に触れたことで、「ここは本当に、世界を変える研究をかたちにしようとしている場なんだ」と感じました。そして、そういう場をつくっているのがリバネスなんだ、と。超異分野学会に参加するまでは、研究者の進路はアカデミアに残るか、企業の研究所に入るか、という二択だと思い込んでいたのですが、そうではない選択肢があるんだと実感して大きな衝撃を受けたことをよく覚えています。
リバネスほど面白い組織は他にない
内田さんがリバネスで仕掛けているプロジェクトについて教えてください。
色々なことに関わらせてもらっていますが、一つだけ選ぶとすればテックプランターのフードテック領域ですね。フードはテクノロジーを社会実装するまでのプロセスが他の領域よりも短いというか、PoCを比較的早く回すことができます。いわば小さく、細かく、多く実験ができるカテゴリーで、そこが自分の性に合っています。もちろん、個人的に「食」が好きだということもあります。食の場では、人とのコミュニケーションが必ず生まれるので、「人に豊かさを届けたい」という自分の原点とも一致していると感じています。
現在は事業部だけでなく、経営企画室に所属してブランディングに関わる仕事もしていますよね?
はい、ブランディングはとても好きな活動です。具体的には、リバネスのメンバーが営業やプレゼンの場で使う会社紹介のスライドのデザインなどを担当しています。スライドはリバネスのメンバーが「事を仕掛ける」ためのツールなので、自分の仕事によって、リバネスの活動自体を後押しできる感覚がある。私にとってリバネスが活躍するということは、世界が豊かになっていくこととイコールですから、本当にやりがいを感じています。
常々思っているのが、「リバネスほど面白い組織は他にない」ということです。どうすればこの面白さをもっと世の中に知ってもらえるのか。これを考えるのは本当に楽しい時間です。妙な表現かもしれませんが、私にとってリバネスは完全に「推し」なので、仕事をしているのもある種の「推し活」というか(笑)。もちろん乗り越えるべき壁はたくさんありますが、基本的には毎日幸せに過ごすことができています。
リバネスは通年で修士・博士の採用活動を行っています。 詳しくは採用ページをご確認ください。