獣医師と異分野の融合チームで畜産業の未来をつくるひと
尹 晃哲(ゆん ふぁんちょる)
獣医師
専門分野:獣医内科学(牛)
獣医師の資格を持つ尹 晃哲(ゆん ふぁんちょる)さんは、牛の生産現場から加工されて消費者に届くまでのしくみ全体を俯瞰して捉えたいと考えている研究者でもある。もともとは周囲の人に感化されながら自身の道を選んできた。しかし、現在の尹さんは、逆に多くの人に影響を与えながら未来を見つめるリーダーとなりつつある。今回はそんな尹さんに話を聞いてみた。
(聴き手:鶴田 和枝)
鶴田:尹さんは、どちら出身ですか?
尹:愛知県で生まれました。父が自動車関連の仕事に従事していたんです。
鶴田:尹さんは獣医師ですし、やっぱり幼少の頃から生き物が好きだったのでしょうか?
尹:生き物は好きでしたね。ただ、進路についてはもともと農学部に行きたいと考えていました。古い記憶ですが、祖父が百姓をやっていたこともあって、父からも「農業がダメな国は衰退していく」と聞いていたので、高校に入ってすぐの頃は農学部に行こうと思っていたんです。
高校2年生の頃、友達が「獣医になる」と言っているのを聞きました。ちょうど飼っていた犬が死んでしまったばかりだったので「これだ!」と思い、2年浪人して麻布大学の獣医学部に進学したんです。
鶴田:友人に感化されたんですね。でも、獣医学部ってそんなに楽ではないですよね。苦労もあったのではないでしょうか?
尹:大学に入ってから「なぜ獣医を目指したのか?」とよく聞かれました。みんな志の高いことを言うのに、僕は単純に「かっこいい」「おもしろそうだから」で入学しましたから。志のない自分に、本当に苦しみましたね。
鶴田:獣医学部ではどんな勉強をするのでしょうか?
尹:動物の形を知るための解剖学とか、分子生物学とか・・・特に最初の頃は基礎的な内容が多いですね。学年が上がるに連れて、実際にウサギなどの動物を使った薬理学の試験もやるようになります。犬で手術の練習もしました。
鶴田:もともと犬を飼っていましたよね?私も犬を飼っていますけど、犬で手術の練習って、ちょっと辛くないですか?
尹:そう、本当に辛いです。だから、その命から多くのことを学んで、それ以上にたくさんの生き物を助けていけるようにしたいと強く思いました。外科手術の実習はとても難しいんです。事前に学んで頭ではわかっていても、手技が追いつかない。実際に手術をしながら学ぶことは本当に多いんです。
鶴田:なぜ、「牛」の獣医になろうと思ったのでしょうか?
尹:僕は結構、人に影響されやすいんですよね(笑)。実は、大学2年生の後期のとき、ケニアで牛や大型野生動物の保護を扱う人がいるのをメディアで見ました。「牛について学ぶのも面白いかな」と思い始めた頃、同級生に牛の獣医を志す人がいるのを知ったんです。その友人は離島の実家で肉牛を飼っていました。でも、思春期の頃は牛のことなんか嫌だったと言うんです。全然牛の面倒も見ないし、手伝いもしなくて。そんな彼が大学に入って、積極的に牛とか地元のためになることをやろうとしていました。努力している同級生の姿に衝撃を受けました。生半可ではできない。そのとき、牛の獣医がかっこよく見えたんです。そして、自分もそういう、人に影響を与えられるような人間になろうと決意しました。
鶴田:牛の獣医師になってからはどんなキャリアを歩んだのでしょうか?
尹:牛の個体だけでなく、牛を囲む産業全体を見てみたいという気持ちもありましたから、畜産物や乳製品などを扱う大手企業にも就職活動をしたことがありました。でも、最終的には兵庫県の共済組合連合会というところで働き始めました。共済組合連合会は、例えば畜産業者の方が災害などにあった際、それに対する補償をするような仕事などをしています。そこで、牛の診療などを行うんです。
同期のメンバーは3人いました。まずは神戸の研修センターで共同生活をしながら色々なことを学んで、その後、それぞれが兵庫県内各地に配属となりました。先輩に習いながら各地で実地を重ね、少しずつ自立できるようにトレーニングを積みます。2年目に入ると、担当するエリアをつくって自立していくんです。
牛といってもホルスタイン、黒毛など色々な種類がいて、乳牛なのか肉牛なのかという点でも扱いが変わってきます。兵庫には神戸ビーフというブランドがあって、子牛やお肉の価格がとても高く、農家さんも非常にシビアな視点で僕たちの仕事を見ているんです。
鶴田:畜産の世界についてもっと教えていただけますか?
尹:そうですね。多くの農家さんとやりとりをさせていただきましたが、70〜80代の高齢の方がすごく多い印象でした。神戸ビーフというブランドを掲げていても、餌代は上がっていくばかりで、経営状態が悪い農家さんもたくさんありました。次々に辞めていく農家さんがいる一方で、大きな会社が、どんと何百頭もの牛を一度に飼い始めたり・・・。畜産の中で、何か新しい時代に向けた動きがあるなと体感していました。
そんな中で、担当区域の肥育農家さんに自分と同い年の人がいて、一緒によく酒を飲んでいました。高齢の農家さんの話を聞いていると、あと何年で辞めようという話がほとんどですが、若い人は「今後こんなことをしていきたい」と夢の話をしてくれるんです。私も畜産の未来のために何かしたいなって漠然と思い始めました。
一方で、日頃の仕事は単調です。診なければいけない牛の数も多い。1日に何十頭も診なければいけないので、自ずと機械的に牛を見ている気持ちに違和感を感じていました。獣医師のポテンシャルと能力を、もっと活かす場所や機会をつくることができるのではないか。
もともと獣医師には研究者としての側面もあるはずです。でもそんなに深い知識って、現場では必要ないわけです。研究者としての知識をもっとうまく活用できるのではないか。そうすれば、畜産業界はもっとよくなるのではないか・・・。そんなことを思っていたときに、友人からリバネスを紹介されました。
鶴田:なるほど。そして、リバネスの門を叩いたというわけですね。
鶴田:友人にリバネスを紹介されて、まずは大阪事業所(現大阪本社)を訪れたんですよね?
尹:はい。取締役の吉田一寛さんと岡崎さんに面談していただきました。私は、獣医師には研究者としての側面があること、その知識や研究成果をビジネスとして活かしていきたいという想いを率直に伝えたんです。「それ、すでにリバネスでやっているよ」と即答されて。驚きましたし、なんだか可能性みたいなものを感じました。獣医の知識をもっと現場に還元したい。現場から消費者に届く出口までを一気通貫で見てみたい。牛のビジネスを自分でも起こしてみたい。それらがバラバラと頭の中に溢れ出してきました。
鶴田:リバネスに入社して、一番最初にやったことってなんですか?
尹:実験教室ですよ。高校生を対象にしたDNA抽出実験や生分解性プラスチックの実験教室です。
鶴田:初めてやってみてどうでしたか?
尹:メンバーが何時間も掛けて、参加する生徒のことをずっと考え続けている状況がとても新鮮に思えました。誰かの変化を起こすために、こんなに時間を掛けて考える人たちがいるんだと、正直びっくりしました。「なぜここまでするんだろう」って。私は何もできず、ただ傍観していましたね。
鶴田:今は、その意味みたいなものを理解できたのでしょうか?
尹:そうですねぇ。まだ自分の言葉で表現できるまでには至っていませんね。いまだに、「そこまでやる!?」って思うこともありますからね(笑)
鶴田:今、牛に関するプロジェクトを立ち上げていますよね。
尹:アグリノーム研究所とともに、肉牛を育てるプロジェクトを始めました。耕作放棄地を活用して牧草肥育ができないかという研究をしています。畜産のほとんどが海外から餌を輸入してきているのですが、価格が高騰しているなど、課題があります。また、放牧で管理の省力化を目指そうとも考えています。IoTを使うなどしながら、誰でも牛を飼えるような未来をつくっていきたいんです。高齢化が進む畜産業ですが、この研究が地域産業の活性化につながればとも考えています。
鶴田:素晴らしい理想ですが、現実は難しそうですね。
尹:もちろん大変なことも多いです。今回のプロジェクトでは、地域住民の方々の理解と協力が不可欠です。放牧するための土地も手配しなければいけません。役場や商工会議所の方に協力いただくなどしました。そして今、やっと牛を放牧できるところまできたんです。多くの方々を巻き込むためにも、どれだけプロジェクトの意義を理解し共感してもらえるか、そして、それを自分の言葉で説明できることがどれだけ大切なことなのかを思い知りました。
それに牛は最低でも5年は飼わないといけません。覚悟もいりますね。
鶴田:今後はどのような取り組みをしていくのでしょうか?
尹:獣医師の世界はすごく狭いんです。リバネスに来てから、異分野の研究者に会ってみて、つくづくそう思いました。獣医師の知識だけじゃ畜産業はかわらない。まったく違う分野の人たちとどれだけ協力していけるのかが重要です。今では、これまでつながることができなかった多様な人たちとつながることができています。
畜産・農業は食につながります。それは人が生きるための根幹にあるものです。そこに自分から積極的に関わっていきたい。自分にしかできないことを探求し、そこに私自身の力を注ぎ込んでいきたいと思います。