インタビュー

東北、墨田、マレーシア。飛び込んだ先は全てがつながっている。

面接は開始5分で「合格!」

─ 秋永さんはどういうきっかけでリバネスを知ったんですか?

秋永 ちょっと話が長くなるのですが、実はM2の秋に、内定をもらっていたベンチャーと意見の相違があって喧嘩別れをしまして・・・。

─ いきなり波乱ですね。

秋永 そうなんです。就活のことを考えるとかなり厳しいタイミングでした。それで、もうこうなったら世界中の企業にレジュメというか履歴書を送りまくろうと。所属していた研究室に留学生が多かったこともあって、当時はグローバルな環境で働くことに興味があったので。

─ なるほど。

秋永 そんな時に、本当に偶然なんですが、研究室のメール宛にリバネスからイベントの案内が届いているのを目にして。研究室の同僚が以前にリバネスの取材をしたことがあったらしく、その関係で届いていたんですね。

─ ちなみに誰からのメールだったんですか?

秋永 大悟さんでした。で、メールの署名に書いてあった『科学技術の発展と地球貢献を実現する』というリバネスの理念と、大悟さんの肩書きについていた『サイエンスブリッジコミュニケーター』という言葉に興味が湧いたんです。それでリバネスのウェブサイトを覗いてみたんですが、当時のサイトは内容が整っていないというかカオスだったというか、ちょっとよくわからなくて(笑)。でも積極的に就活に動いていた時期だったので「とりあえず話を聞きにいってみよう」とメールで連絡をしてみたんです。

─ おお、飛び込みましたね。

秋永 メールをしたのが12月23日だったので返事は年明けかなと思っていたら、すぐに返事が来て。「1月4日が仕事始めなのでその日に来てください」と。展開の早い会社だなと思いつつ年明けに出向いたら、磯貝さん丈治さん丸さんが対応してくれました。そこで大学院ではこんな研究をしています、というような話をしていたら、5分ほどで丸さんが「いいね。合格!」と(笑)。

─ 早い(笑)。秋永さんもすぐに返事を?

秋永 いや、さすがにあっけに取れられて。「ちょっと考えさせてください」と伝えてその日は帰りました。

─ それはそうですよね。でも、結局入社を決めたというのは、どんな理由があったんですか。

秋永 数日後になんとなくテレビを見ていたら、NHKの科学番組に丸さんが出演していたんですよ。あと、友人にリバネスに行った話をしたら「その会社知ってるよ」と。「シリコンバレーの研修ツアーに参加したことがあるんだけど、その企画がリバネスだった」と。その2つで「へえ、結構ちゃんとした会社なんだな」と思って(笑)。今振り返ってみると、やっぱりご縁があったんだと思いますね。

やったことがないからこそ、「できる気がする」。

─ そもそも大学院ではどのような研究をしていたんですか?

秋永 大学院ではサステナビリティ・サイエンスを専攻していて、その研究の一環で、震災の爪痕が残る釜石市でフィールドワークを行いました。震災を乗り越え、持続可能な街として発展するには、どのような課題があるのかを調査したんです。

─ 入社後にもその経験は活きましたか?

秋永 実は丸さんには「博士課程に進むつもりでうちに来てみなよ」と声をかけられていて、実際に入社後すぐに関わらせてもらったのも、東北バイオ教育プロジェクトという、復興支援の意味合いが強いプロジェクトでした。

─ 最初から自分の希望に沿った仕事ができたんですね。

秋永 はい、すごく嬉しかったです。あとは墨田区の産業活力再生基礎調査という事業で、町工場の実態調査にも同時に取り組みました。自転車20台を購入して、15人の調査役を雇って、彼らと共に当時墨田区にあった3,000社の町工場を全て回って聞き取り調査をするというものなんですけど。

─ それはまたハードな・・・。

秋永 大変じゃなかったというと、嘘になりますね(笑)。ただ私にとっては、それも大学院の研究とつながっていたんです。未知の世界に飛び込んで、現場の人々とコミュニケーションをして、眠っている課題を発掘して、という意味では同じことなので。

─ とはいえ、町工場の調査と、学生時代の秋永さんの「グローバルな環境で働くことに興味があった」という志向にはギャップがあるように感じられるのですが。

秋永 いや、私の中では全部同じなんです。行き先が釜石でも、墨田でも、海外でも、「行ったことのない場所に行く」ことに変わりはないので。

─ おお、確かに。

秋永 その上で、私は未知の世界に飛び込むことにワクワクする人間なんです。やったことがないこと、経験のないことだからこそ、「できる気がする」というか。まあ、冷静に考えると、ただの「勘違い」なんですけど(笑)。

─ 秋永さんは2017年から2年間、リバネス・マレーシアの代表を務めていましたが、その時も同じ気持ちで?

秋永 実はリバネス・マレーシアについては、入社半年後のタイミングで立ち上げから関わっていたんです。マレーシアに行ったこともないのに(笑)。それに比べれば、2017年の代表就任は準備ができていたほうかもしれません。

─ ポジティブというか、アグレッシブというか、無鉄砲というか・・・。ちなみに、2019年にマレーシアの代表をHakimさんに譲ったのはどういう理由だったんですか?

秋永 私は「飛び込む」ことはできますが、現地の課題は結局のところ現地の人にしかわからない、というのが最大の理由です。ある程度のベースができたら、あとは現地の人ならではの実感を伴った課題感やパッションで突き進むのが一番スピードが出ますから。

人を巻き込む難しさと楽しさとやりがいと。

─ 現在所属している地域開発事業部では、主にどのような仕事を?

秋永 特に注力しているのは地域テックプランターですね。全国各地で開催しているのですが、私は福島、栃木、静岡をメインで担当しています。

─ これもまた、秋永さんにとっては「新たな未知」という感覚ですか?

秋永 まさにそうなんです。同時に、地域テックプランターに参画する全ての人にとっても「未知」なプロジェクトだと思っています。

─ と、いいますと。

秋永 地域テックプランターの趣旨について、ウェブサイトでは「大学等研究機関の研究成果が世界を変える可能性を信じ、地域をあげて社会実装を支援するため、各地の産官学金が連携して始まったのが地域テックプランターです」と説明しています。つまり、研究成果の社会実装によって地域を活性化させるということ自体が一つの挑戦なので、当事者である研究者にとっても、その取り組みを支援する地域の企業や自治体や金融機関にとっても、誰にとっても「未知」なんです。

─ 誰にとっても未知なプロジェクトに多くの人々を巻き込むのは、本当に難しそうな気がします。

秋永 その通りです。その分、やりがいがあるプロジェクトでもあります。そして、実は地域テックプランターも、私にとっては学生時代の研究の続きなんです。

─ どんな風につながっているんでしょうか。

秋永 大学院の研究では、地域のフィールドワークを行い、課題を論文にまとめるところまでが限界で、その先の解決まで踏み込むことはできませんでした。でも地域テックプランターであれば、課題が上がってきたところに、大学などの研究機関やベンチャーの技術を組み合わせることで、解決に向けた具体的な一歩を導くことができます。

─ つまり、学生時代には持ちえなかった「事を仕掛ける力」が今はある、と。

秋永 はい。それがリバネスの強みであり、働いていて楽しい理由でもあります。

─ ただ、未知の世界に飛び込むのはなかなか大変です。うまくいくことは少ないし、多くの努力も必要でしょう。それも含めて楽しんでいる、ということなんですね。

秋永 リバネスにいるのは、そういう人ばかりだと思います。どんな状況でも、その状況を楽しめるというか。なので「自分もそういうタイプかも」という人がいたら、ぜひリバネスの門を叩いてほしいですね。(2022年1月9日時点)


秋永名美(あきなが・なみ)/東京理科大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院Graduate Program in Sustainability Science修了。修士(サステイナビリティ学)。震災後の岩手県三陸沿岸地域の課題解決に関する研究経験から、先端技術と課題の橋渡しを追究すべくリバネス入社。地域開発・国際開発事業部を経て、マレーシア・シンガポール現地子会社の運営や、TECH PLANTERの東南アジア展開を中心に担ってきた。「多様性の価値を最大化する」をテーマに、分野・事業領域・組織の枠を超えた連携創出に取り組む。