インタビュー

東南アジアの課題を解決できるまで死ねない。足掻きつづける。

腕を組んで一緒に悩めることが心地よかった

ポスドクを3年間やってるんですよね。

はい。横浜国立大学 高大接続・全学教育推進センターで助教を、東京工業大学 物質理工学院で研究員を務めていて、色素化学や地球化学の研究にそれぞれ従事していました。

研究の道を突き進むなかで、どこでリバネスを知ったのでしょうか。

2018年、ポスドクの時に横浜国立大のキャリア支援を担当する准教授から、『※キャリアディスカバリーフォーラム(CDF)』を教えてもらい、そこでリバネスという会社を知りました。

※CDFはリバネスが主催していた、研究者の活躍の場を発見するためのフォーラム。現在はアド・ベンチャーフォーラムに改称し、「研究者の新たな活躍の場を発見する」をテーマに、学生・ポスドクといった若手研究人材とベンチャー企業が出会う場を開催している。

リバネスに対してどのような印象を抱きましたか?

参加した当時は、リバネスについて強い印象が残っていたわけではなかったのですが、ベンチャー企業の雰囲気が自分に“合うな”と感じたのはハッキリと覚えています。

具体的にはどういった部分が“合うな”と感じましたか?

ベンチャー企業の人たちは、一緒に腕を組みながら考えられる人ばかりで、それが僕にとってはすごく心地よかったんです。誰も正解を持っていない中で、「この課題を解決するにはどうすればいいか」「どんな未来を作っていきたいか」を、互いの体験や考えを共有しながら議論できる。それが率直に楽しいなと思ったんです。

もともと大学時代から、研究と並行して趣味のように色々なプロジェクトをやっていまして、課題に対して「コトを仕掛けること」が好きでした。環境保護に関する活動をしている学生団体を集めたコンテストをしたり、留学生向けに近隣住民とお節料理を作るイベントを開催したりしていました。昔から、言われたことをやるより、自分から何かを提案したり実行したりすることが好きだったんです。

結果的にCDF後に、神藤さんは横浜国立大学で助教を経て、2019年にリバネスに入社しています。そこにはどのような心境の変化があったのでしょうか。

2018年に30歳になったタイミングで、このままアカデミアに残るのか、それともプロジェクトを作るような夢中になれることに注力するか、自分が進むべき方向を再考しました。というのも、お世話になった准教授の先生から「研究に120%集中して論文を書いて、やっと国立大学の教員になるスタートラインに立てるんだ。いまの君には個人のプロジェクトをやっている暇はないぞ」と言われまして、その通りだなと思ったんです。そして、僕が出した決断は、夢中になれるものに残りの人生を費やすということでした。

巻き込まれ、仕事の基礎力を磨いていく

神藤さんが夢中になれるものが、リバネスはあったと?

その時点ではただの思い込みなんですけど(笑)。年末年始に自分が夢中になれるものをやろうと決心して、「そういえばリバネスっていう会社があったな」と思い出しました。そして、1月8日あたりにはエントリーをしていましたね。その後、2月中旬の入社プレゼンをして、3月から常勤のインターン、4月に正式入社しました。

怒涛ですね(笑)。神藤さんはグループ開発事業本部に所属して、海外を飛び回っている印象が強いのですが、入社時から海外に行っていたのでしょうか?

はい。入社前の面談で、丸さんから「英語話せるの?海外の仕事できる?」と聞かれており、「ドメスティックに働く気は僕にはありません」と答えていましたので。博士時代に、研究留学でベルギーに1年間住んでいました。当時は英語を話して研究についていくだけで精一杯で、自分がこれをやり切ったという成果を残してくることができず……。それが悔しくて、海外に出るチャンスがあれば、絶対に逃すまいと思っていました。

なるほど。そんな神藤さんが入社後に携わった仕事を教えてください。

入社後はすぐにTECH PLANTERでフィリピンに行きました。大田区の委託事業「区内企業と海外ベンチャー企業の連携創出可能性調査事業」で、試作開発をしてくれる海外ベンチャー企業を探しに、丸さんと東南アジアを飛び回っていました。

最終的に、タイで視覚障害者向けの点字デバイスを開発するベンチャー企業 ReadRing社のデバイスを大田区の町工場を営む株式会社善大工業と作るプロジェクトを任されました。先輩方と一緒とはいえ、今振り返ると、入社1年目の社員によくやらせてくれたなと思います。善大工業さんとタイの現場を見に行ったり、何度もオンラインで面談をして、最終的に新しい特許にも繋がるようなデバイスの試作品を作り上げたときは、充実感がありました。

リバネスに入社してからは、日々の変化が目まぐるしいです。特に入社当時は、自分でコトを仕掛ける余裕がなく、巻き込まれてばかりでしたね。でも、巻き込まれたからこそ、磨かれた力があると思っています。

どのような時に、ご自身がレベルアップしたなと感じましたか?

新型コロナウイルス感染症の影響で海外で活動ができなくなり、戦略開発事業部で大坂さんと仕事をしていた時です。プロジェクトの動きや計画などを大坂さんが説明してくれるのですが、自分には高度すぎて、当時の自分ではあまり理解ができず……。「これを次の会議までにやって!」と言われるものを、ひたすらやっていました。

まさに「体で覚える」ですね。

目の前の仕事に全力投球していると、「次はあれをやっておけばいいかも」「これが足りてないから先回りで対応しておこう」とだんだんと“わかる”ようになってきました。そのおかげもあり、少しずつ周りから頼りにされることも増えました。そして、コロナが落ち着いた2021年からは、香川発の医療機器ベンチャーであるメロディ・インターナショナル株式会社や、関西発のバイオテックベンチャーのマイキャン・テクノロジーズ株式会社の海外進出の伴走支援を任せてもらえて、とても嬉しかったです。

国を越えて、科学技術で課題を解決する

日本と東南アジアで活動してみて、ぶっちゃけどちらが好きですか?

東南アジアのほうが、エキサイティングになれる感覚が強いです。それは喜びのような感情ではなく、スリルがあって、「今、僕は生きている!」みたいな(笑)。

東南アジアは、若い人々のエネルギーに満ちていて、一方で目の前の課題がたくさんあります。日本の企業や、ベンチャーの技術を持っていくことで、全く新しい課題解決に繋がる可能性がまだまだたくさん残されているんです。課題だらけの混沌とした国に飛び込んで、なぜ課題が発生しているのか、そこにどうしたら科学技術を適用できるのか、「構造」を見つけるのが、自分にとってはとても楽しいです。日本に比べて資源も圧倒的に足りない中で、どうすれば課題を解決できるか「仮説」や「勝ち筋」を作り上げていくことに面白みを感じます。

取り組む課題は、かつて研究していた環境や化学の分野ではなくてもいいのでしょうか。

特に、こだわりはありません。化学の知識をベースにしながら、課題の解決のためならば、製造や医療、教育など、どんな領域でも飛び込んでいきます。リバネスには色んな分野の研究者が集まってますし、それができる環境もあります。

今後はどのようなことを目指していきたいですか?

僕らが海外に連れ出しているベンチャー企業と海外の方達が協業して、「東南アジアの課題を解決した」といえる状態を創りたいです。そのためには、仕掛け続けないといけないですし、そのような状態になるまで僕は死ねないと思っています。それに、東南アジアに留まらず世界中で、国を越えて、科学技術が適切な課題の解決に活かされる仕組みを実現したいです。

具体的にどのような仕掛けを考えていますか?

今は、リバネスが連れ出した日本のベンチャー企業が『Center of Garage Malaysia』に入居し、現地の課題にアタックを始めた段階です。そこで僕がやるべきことのひとつは、海外にきた日本のベンチャー企業を支援しつづけること。もうひとつは、僕だけでは東南アジアの課題を解決し切るのは難しいので、課題解決する仕組みを作ったり、一緒に取り組む仲間を増やしていくことです。

特に、先端科学に関する正しい知識を身につけ、やりとりをする対象に合わせてわかりやすく伝える『サイエンスブリッジコミュニケーション』を身につけた人は足りていません。その国が抱える課題や企業や研究者の状況を踏まえて、コミュニケーションを取らないと、必ず衝突が生まれてしまいます。まずは、リバネスの仲間になってくれた僕の後輩たちが、サイエンスブリッジコミュニケーションを実現できるようサポートしていきたいです。


神藤 拓実(じんどう たくみ)
株式会社リバネス 地域開発事業部
博士(工学)。2014-15年、KU Leuven(ベルギー)にて研究留学。2016年横浜国立大学大学院環境情報学府博士後期課程修了。2017-2019年、東京工業大学物質理工学院研究員並びに横浜国立大学高大接続・全学教育推進センター非常勤教員(助教)を経て現職。名古屋大学ディープテック・シリアルイノベーションセンター 客員准教授 兼務。リバネスでは、東南アジアのベンチャーや現地機関と連携し、日本のベンチャーや企業の技術を使った課題解決のプロジェクトに数多く従事している。

リバネスは通年で修士・博士の採用活動を行っています。 詳しくは採用ページをご確認ください。